小説・散文 日記

酸素の薄い朝

投稿日:2020年6月13日 更新日:

主従関係について、思考と錯誤を繰り返す。

 

やかんに水を注ぎ、火にかける。

透明なガラス製の急須に茶葉を落とし、その瞬間を待つ。海底の柔らかい砂のようなソファに腰掛け、従者の事を考える。

それはとても豊かで静謐で、少しだけ赦された時間だ。

 

よく手入れをされた表情であるとか、美しい輪郭であるとか、それらを歪ませる瞬間に発生する権利を幸福に思う。

やかんの水が沸騰するまでの時間に、主従関係を認識する。

 

奴隷に与える行為のいくつかが女性を充たし、溢れることもあるだろう。

顔が歪んでから涙が滴るまでの瞬きのような、一秒だか十秒だかわからない時間。その時間の中にお互いの何十時間がこもっている。

 

「あの時こう声をかけておけば良かった」

 

そう後悔した瞬間は何度もある。その怠慢や怠惰は返しのついた針のようにどこかに刺さったまま、抜くこともできずについて回る。

捨て忘れた悲しみは、ひどく長い時間自分を呪うだろう。

 

新たな女性と知り合い内面をなぞっていくと、誰かに踏み荒らされた足跡のようなものに出会うことがある。誰かがその女性に踏み入って、片付けもせずに出て行ってしまったのかもしれない。

その女性と話す。珈琲やお菓子や、調教やSMについて会話をする。

そうしているとある時、踏み跡から芽吹いた花があることに気づく。

僕がその花を自分のものだと主張してはいけないし、その花を持って女性が良い相手を探しにいく事も尊いと思う。

 

様々な理由を経て、出会った女性とホテルの一室で向き合うことがある。

目の前にいるのは、洗練され、思考を繰り返して、自分を大切に想っているが故にここまで来た女性である。

足元に座る女性の胸では、いつもより窮屈な心臓が過剰な拍出を繰り返す。

行為が始まれば、手や口を初めて使った時のように慣れない動作で男性に触れる。自分が正解を行っているのか不正解を行っているのかは終にわからないかもしれない。

 

女性はというと。

新しい色鉛筆をもらった時に、どれもが魅力的で美しく見えた。

しかしある時に減り方がまばらであることに気づく。

すべては均等でないことを知り、それが世界なのだと理解する。

それでも自分は短い色鉛筆でありたいと願う。

 

男性はというと。

恋愛と同じく女性の笑った顔や、ため息や、大きなパンを頬張る顔が好きだ。

しかしそれと等しく、泣き顔や、苦悶であるとか、浅ましい恍惚も愛しいと思ってしまうだろう。

だからこそ恋愛とは別の手段で関係を選ぶ。

 

ひとしきりの行為が終わり、泥のように二人でベッドに沈む。

浅いままの眠りを経て目を覚ますと、ホテルの薄暗い天井が見えた。

行き届かない空調のせいで、酸素の薄い朝を迎える。ひどく重い体を起こし、すっかり温くなった水を飲む。

 

女性を起こさないように、少しだけ窓を開けてみる。

そこには見慣れぬ風景、見慣れぬ太陽が昇っているのが見え、自分が世界から切り離された空間にいることに改めて気づく。

世界から離れてしまった箱の中はとても自由だ。

泣き喚いても良いし、抱きしめても良い。抱きしめられても良いだろう。

 

そんな時間をくれる従者がとても愛おしい。

 

 

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