当ブログ「東京 M女のための調教ブログ」には日々多くの女性から調教希望や悩み相談の問い合わせを頂く。
その中でも多いのが以下のような点である。
- アブノーマルなプレイに興味はありながらも自分が求めているものが主従関係なのかわからない
- 写真で見るプレイに強烈に惹かれながら、自分がついていけるか心配
調教未経験で「ご主人様」を探す女性のほとんどはこの悩みに尽きるのかもしれない。
これに対する答えは相談相手や参考にしたサイト等で大きく見解が異なるため、女性にとっては自分が最も共感・受け入れられる相手を探す作業になると思う。
感受性が豊かであったり言語化しにくい性癖の女性ほど、この作業にひどく苦労する。
プレイそのものよりも精神的な関係を重視する女性や、とても精密で難しいニュアンスの羞恥調教を求める女性は特に悩み、結果的に諦めてしまう女性も少なくない。
僕は女性から相談を受けた際、ご主人様を探すにあたって多くの人の考えや価値観にふれることを強く勧めている。
その過程でドミナント(支配者)としての男性を見る目も養われ、サブミッシブ(被支配者)としての自分が望むものも整理される。
当ブログからの調教希望の女性とはこんなことを話す。
最初に求める主従関係像と経験してみたいプレイ、NGプレイ。
NGプレイについては関係を継続していく中でできるようになるものもあるが、関係ができていない時点で無理強いするとそれは女性にとって恐怖でしかない。
せっかくの関係を壊してしまう可能性があるので、生理的なNGか自己防衛的なNGか、僕はそれを高い精度で捉えたいと思っている。
また相手によって調教内容を変えているが、著しく根本的な嗜好や求めている関係がズレている場合にはお互いに関係を楽しめず不幸になる可能性がある。
これまでの関係から、性欲だけで関係を結ぶと幸福にはならないことを知っているつもりだ。
問い合わせを頂いてからのヒアリングで「自分と関係を結ばない方が良い」と判断した場合には関係をお断りすることもあるので了承して頂きたい。
主従関係に何を求めるか、どんな調教を主体で行っていくかというのは主となる男性によって大きく異なる。
端的に書くと、僕が主従関係で女性に与えるものは羞恥と屈辱だ。
日常での姿が整っていて、知性や品がある女性を辱める。
このブログやTwitter(@mukuro_smblog2)には刺激的な従者たちの姿が掲載されており、それを見たことで「自分はついていけるのか…」と腰が引ける女性は多いかもしれない。
しかし今現在掲載されている従者たちは、最初からあのような姿を望んでいた訳ではない。明確なNGもあり、普段はおとなしかったり品のある自律した女性である。
女性の願望は極力正確に捉える。
自分では絶対に選択しないような姿を命じ、ペットや道具としての振る舞いを躾け、人間として秘するべき姿(例えばそれが排泄であるとか)を目の前で行うように命じていく。
最初のうちは躊躇って踏み込めないかもしれない。
しかし一枚一枚清楚な皮を剝がされていき、普段の自分とは別人のように下品で知性を感じられない姿に変わっていく。
「選択権がない」という状況に異常な興奮を示すようであれば、その女性は自分に服従することで満たされていると判断する。
対照的に、日常ではそれまで以上に自律して品のある女性になってもらいたい。
日常の自分と奴隷としての自分。
それらは他人のようにまったく異なる姿を見せるが、確実に根底の部分で繋がっている。
最高に綺麗な姿で会いに来た女性を最悪な姿で辱める。
気のない男性や彼氏でさえ施されたら屈辱でしかない経験を与えていく。
自分の脳では処理が追い付かない快楽がある。
軽蔑の対象でしかないような調教を自らが受け、それが快楽に感じる自分へと変えられていく。
この「変えられていく」という表現は比喩ではなく、あなたの身に起こる可能性がある出来事だ。
主従関係を経験する前には戻れない不可逆の変化。
自分が変わってしまうという気持ち良さ。
ここで初めて、サブミッシブという繊細な性癖が満たされていくことを感じるかもしれない。
ここに書いてあることは妄言や官能小説ではない。
未経験の女性が写真に掲載されているような姿に変わっていくのは実際の出来事である。
「奴隷」になるのは何も特別な女性だけではない。
多くの価値観を知り、自分が「この男性の世界にふれてみたい」と思える相手を探してみよう。
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