久しぶりに記事を書く。
日々多くの感情や思考に出会う中で、書きたい事は自分のなかに募っていく。
記事を書いていない期間にも、安寧をくれる従者や思い悩む女性の繊細さに触れる機会があった。
「M女のための調教ブログ」をご覧に頂いた事がある方はご存じかもしれないが、当ブログには性質上様々な想いを持った女性にご訪問を頂く。
ほとんどの女性は、思い掛けない形で当ブログに辿り着いたのだと思う。
一瞥して踵を返す人もいるだろうし、自分が求めていた世界に近いと読み込んでくださる方もいるかもしれない。
そんな軽蔑と僅かな共感が入り混じる文章を、貴重な時間を割いて読んで頂けることを嬉しく思う。
このブログではいわゆる「SM」や「ドミナント&サブミッシブ」の世界について記述しているが、その茫漠として曖昧な概念に悩み孤独を感じる女性がいる。
恋人、友人、家族の愛情に満たされた中で感じる孤独。
誰から見ても潔白で満たされたコミュニティの中で、少しだけ特別な性癖は残酷なほどに孤独になる。
様々な姿になることを望む女性がいる。
奴隷、ペット、羞恥にまみれた下品な姿。
僕はそのいずれも否定はしない。
ただ、関係を持つ中で僕はすべての女性の手を強く握れる訳ではない。
前提条件の相違や会話を重ねた結果関係を断る女性もいる。
自分がいつの間にか抱き抱えてしまった性癖について、一人きりの部屋でそれが軽くなることを望み慰めることもあるだろう。
群衆から壁を一枚隔てた場所で、衣類をそっと脱いでみる女性もいるかもしれない。
しかし残念ながらそれらが軽減されることは難しい。
なぜならそういった女性が望んでいるのは人間関係の中でこそ与えられる役割であり、人間関係の中でこそ実感できる立場だからである。
相談や調教希望を頂く女性の願望は本当に様々である。
屈辱的な格好を強いられ馬鹿にされる事を望む女性もいれば、
排泄する姿をじっと見届けて欲しいと望む女性もいる。
身体に痕が残ることを求める女性もいるし、
監視下での露出のような刺激を求める女性いる。
一般的な嗜好と違うことを否定してはいけない。
それらは皆、彼女たち自身もなぜ身体や脳が反応してしまうのかわからない快楽なのである。
そういった少しだけ特殊な願望を、楽しく話せて受け止めてくれるパートナーを求めることはとても自然な欲求ではないだろうか。
僕のことを「ご主人様」と呼んでくれる複数の女性がいる。
彼女たちが恋人にも見せたことがないような恍惚とした表情を見るのが好きだ。
そしてそれを崩すのも。
誰かとの関係の中でしか満たせない願望を持った女性たちが、素敵なパートナーに出逢えると良い。
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