心象スケッチ・小説

SM短編調教小説「完璧なご主人様」

liebeseele(リーベゼーレ)

部屋に入ると乱暴にドアを閉め、荒々しく内鍵を閉める。重いドアの風圧で埃が飛んだ。最近は掃除をしてなかった。いや、させていなかった。

埃の舞う短い廊下を抜け、リビングに入る。電気を点けるとうんざりするぐらい物が散乱している。

鞄を投げるように床に置くと、冷蔵庫からビールを取り出す。一瞬ビールの横に並んでいた低アルコールの缶酎ハイに視線を奪われるが、すぐに冷蔵庫のドアを閉めた。

ソファに座り込むと、二度と立ち上がることができないような脱力感が賢を襲う。

テレビも点けずに暫く天井を仰いだ後、上着のポケットからゆっくりとスマートフォンを取り出した。

家に着くまでに何度も見返したメッセージを開く。

「お別れさせて下さい」

何度見返しても、そのメッセージはそこにあった。賢は夕方にそのメッセージ見た後、しばらく返信をしなかった。返信をしないことで、主人の怒りを察した奴隷、樹里が謝罪のメッセージを送ってくることは今まで何度もあった。

一時間待っても、二時間待っても、樹里から連絡は来なかった。このまま連絡をしなければ、何事もなかったように二人の関係は終わると思った。

「お前が俺から離れていいと思っているのか。今晩家に来なさい」

この期に及んで、自分はなんて見当違いなメッセージを送ったんだろう。読み返すと恥ずかしくて笑えてくる。賢は自嘲気味にため息をついた。

この子の中では、ずっと前に終わっていたのだ。メッセージを送る決意ができたのが今日というだけで、とっくに主人の資格を失っていた。賢は少しづつ状況を飲み込んでいく。

この二、三か月間のことを思い返す。

賢はハプニングバーで知り合った樹里より二歳若い女とばかり会っていた。樹里と会う予定を適当な理由をつけて直前でキャンセルし、その女を抱いた。

樹里は従順で賢の命令なら何でも聞いたが、最近は抱いても興奮することはない。性欲処理が終わると部屋にいる樹里が煩わしく見え、遠慮がちに話す樹里に相槌も打たず、ビールを飲みながらテレビを流れるくだらない映像をぼんやりと眺めていた。

それまでは樹里が自主的に部屋を掃除してくれていた。いつも整理されていて、自分が整った生活をしているように錯覚をしていた。また二人で部屋で飲む時の為に、酒に弱い樹里用の低アルコールの缶酎ハイを常備していた。

一人の女性のすべてに対する決定権を持ち、樹里が命令に逆らったことはない。賢の会社での仕事の出来は凡人のそれだが、プライベートが充実している有能な人間であると思い込んでいた。特殊な性行為をしていたことも、自分を特別だと麻痺させていたのかもしれない。

夕方に送った恥ずかしいメッセージは、十分も経たずに絶望を連れて返ってきた。

「もうあなたとは会えません。大切な人ができてしまいました。申し訳ありません」

ご主人様、ではなくあなた。

言葉は選んではいるが、今までの敬意を含んだ話し方とはまったく異質の言い回しだった。

そこから連絡は返していない。やり取りを重ねれば重ねるほど、終わりであることがはっきりしてしまうような気がした。

賢はソファにもたれながら何度も何度もメッセージを読み返すが、それが自分が望む解決に繋がらないことはわかっていた。

一番確認したくないことを、メッセージとして入力していく。

「それは彼氏か?まさかとは思うが、新しい主か?」

送ったメッセージには、すぐに既読がついた。賢は慌ててメッセージを閉じる。この後に及んで高圧的な文章を送る姿は滑稽でしかない。

奴隷からのメッセージ受信の通知がスマートフォンに表示される。待ち構えていたようで気恥ずかしくなり、メッセージを開かずに五分ほど天井を見上げた。

やがてその抵抗も意味がないことを悟り、メッセージを開いた。

「新しいご主人様です」

メッセージを確認した瞬間、心臓を直接握られたような苦しさ覚えた。息苦しく、脂汗も吹き出した。

賢はトイレに駆け込むと激しく嘔吐した。何を吐いているかもわからない。

すっかり飽きたはずの奴隷が離れていくことで、自分がこんなに取り乱すとは思ってもみなかった。

ネット上では奴隷を持つ、魅力的な男性として振舞っていた。しかし賢がそんな風に振る舞えたのは、慕ってくれる樹里がいたからである事に今さら気づいた。

主人は奴隷がいて初めて主人に成り得る。

そんな大切なことに気づかず、賢は取り返しのつかない喪失をした。

「樹里、樹里……」

涙と吐瀉物が、便器の中に吸い込まれていく。トイレに膝を着く賢の姿は、世界で一番小さく見えた。

 

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