「全体は部分の総和ではない」
これは学生時代に学んでいた心理学の中で出会った言葉で、当時あらゆる事象に共通する真理であるような感銘を受けた。
言葉の解釈については個人差が認められるが、簡単に言うと「部分・部分を足したものが全体像ではない」という意味で遠くはないだろう。
SM調教においてもこれは当てはまる。
M女が強い興味を持ってネットやAVから情報を集める事もあるし、最近ではSNSで実際に調教を行なっている男女からのインプットもある。
一通り調教を経験するのと同じレベルの情報量を取り入れることは難しくないだろう。
しかし、毎日のようにネットを開いても調教に対する興味や欲求が満たされる事はない。
勿論実際に肉体的な刺激がないからという大前提があるが、主従関係においては部分と部分を繋ぐ有機物(あえてこの言い方を選ぶ)の役割は余りにも大きい。
説明をしたい。
ホテルに入ってから施す行為としての調教については、道具があればそれらしいことはできるだろう。
ただ主従関係にM女が求めているのは、とりあえず縛られたりとりあえず責められたりといった事ではない。
調教の日の事前連絡、声、仕草、ホテルに入る前後の言葉責め、甘言、あらゆる有機物があって初めて調教は調教の体裁を成す。
つまり、有機物とは主人を現す。
尊敬のない関係や信頼のない有機物は役に立たず、調教をつまらないものにしてしまう。
ご主人様を溺愛する奴隷が求めている餌は、調教そのものよりも有機物と言っても過言ではないだろう。
これを理解していない男性からの調教はつまらないし、快楽だけを通じての繋がりになってしまう。それはきっと長くは続かない。
ネットでひたすらに情報を集めるのも良いが、主従関係においては細かな有機物に楽しみが有るのを覚えておいてほしい。
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