自分の調教の核となっている思考について書く。
今後このブログからの調教を希望する女性は、僕がどんな事を考えてM女に調教を施しているかの参考にして欲しい。
Twitterや各種ブログを閲覧していても感じ取れるが、調教に対する価値観は主となる人物によって大きく異なる。
ホテルという空間でのみ「役割」としてのSMを楽しむカップルもいれば、私生活に及ぶまで(それはパートナーに配偶者や恋人がいようと)すべての管理を望む関係もある。
主従関係の質はプレイ内容のハードさが証明するものではない。ハードな調教に耐えるほど絆が強い訳ではないということだ。
ある面では、「耐えている」と奴隷が感じている時点で関係の破綻は始まっているだろう。主は与え奴隷は求める状態が望ましい。
ここからは僕の持論だ。
主従関係とは、公序良俗、世間の常識からは大きく逸脱する。
汚れることを褒め、時間をかけて丁寧に整えた化粧が崩れるほどに泣き叫ぶことを良しとする。尊厳を捨てたかのように床を這い、主人の口移しで愛情を注がれる。
そこには世間的に評価される、わかりやすい愛情など何一つとして必要ない。
一般的な正しさとは別の、二人の中での正しさが必要となる。
初めて奴隷として調教を受け始めた女性は、きっと経験したことのない多幸感に包まれるだろう。
感情が追いつかない、喜びでは足りない。
男性にとっても、自分の細かな欲求を伝えるのは簡単な事ではない。許容してくれる女性が居て初めて、男性は表現の権利を得る。
Sを名乗れば支配権が発生する訳ではないのだ。
主従関係とはお互いを赦す行為だ。快楽であり恩恵であり、そこには救いがある。
飛び込むのは不安かもしれない。恐れしかない女性だっているだろう。
断言するが、Mの女性はその欲求を満たせた方が必ず幸福感を得る。
また何度も書いているが、僕は誰とでも主従関係を結ぶことはしない。お互いに別の相手を見つけることが最良と判断すれば、お断りを入れる事もある。
それを拒絶されたように受け取らないで欲しい。僕ではあなたが最も望む関係は築けないと判断した結果だ。関係を結ぶ結ばないの基準はルックスではなく内面にある。お互いに細かなストレスを感じる関係は避けなければならない。それはあなた自身を守る行為でもある。
主従関係に興味のあるM女は、細心の注意を払いながら焦らずにパートナーを探して欲しい。
もしも僕と縁があったその時は、特別な関係を楽しもう。
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