日記

首輪を着けられた世界は

liebeseele(リーベゼーレ)

人生のある時期に、首輪を着けられている時期があってもいいと思う。

それは何かの隠喩ではなく、物理的な話だ。

 

些細な切っ掛けがあり、ご主人様を探す女性がいる。それは学生の時分かもしれないし、社会人になってからかもしれない。

調教に憧れるといっても描いている姿は様々で、首輪を着けられた自分の姿を想像する女性もいれば、絶対的な存在を前に恥態を晒す自分を想像する女性もいる。酷く辱められて恍惚とした表情を浮かべる女性の姿に惹かれる場合もあるだろう。

 

簡単な単語に対して人が描くイメージは膨大で、膨大なイメージは抽象的になりがちだ。

 

「調教が好き」という欲求は何かの媒体を見ることで解消できるかもしれないが、「調教されてみたい」という欲求は代替が難しい。

替わりの利かなかった感情を抱えたまま、女性はご主人様探しをする。

過去にも書いたが、マゾやサブミッシブの気質がある女性はそれを経験することでしか満たされない部分がある。

普通のセックスの延長だけでは辿り着けない、とても歯痒い領域だ。

 

「誰かに調教されている」

 

これは実際に経験するまでは小説の中の出来事で、AVの世界で、頭の中の電気信号でしかない。

 

しかしそれは事実存在する。実際に首輪を着けられた者にしか分からない心地の良い苦しさがある。

裸で首輪を着けられた女性は、ある意味では皆変わらない。

医師も、モデルも、OLも、学生も、皆全裸に首輪を着けただけの屈辱的な情けない姿だ。情けないが、とても美しい。

ご主人様の命令でその姿をしているという事だけが自分への言い訳や救いであるように、奴隷は主人に頼るしかない。

主従関係は、その絶望を含めて快楽となる。とはいえ、信頼できる主人でなければそれらはすべてリスクに変わってしまう。

 

実際に首輪を着けられた世界はとても綺麗だ。

心から楽しむには、細心の注意を払って踏み込んで欲しい。

 

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