主従関係における「ご主人様」と「奴隷」。
当ブログ読者のように一部の人々にのみ馴染んだこの言葉は、一般的な常識からは大きく外れている。
人が他人の尊厳を握るような行為は本来許されるはずもなく、自由を訴える人がいる一方で時代に逆行するような関係だろう。
理不尽・不条理・剥奪
そんな言葉を連鎖させながら女性は奴隷の立場に悦びを見出し溺れる。主となる人物が決めたルールが判断基準となり、不文律の中で関係は熟成されていく。
僕は過去に何度か「主従関係は理不尽を楽しむ一面もある」という主旨の文章を書いた。
誤ったニュアンスで伝わりやすいこの文章について書きたい。
調教の中で主人が奴隷にお仕置きや罰を与える場面がある。
それは一般的な善悪ではなく、主の中で罰するべきかどうかという判断基準によるものだ。
この主の決めたルールというのが厄介なものである。
初めて主従関係を結ぶ場合、自分の主が良質かどうかという判断は女性側には難しい。
結果的に女性が奴隷として悦びを得るような理不尽なら良い。しかし傲慢なだけの、女性を都合よく束縛するためだけのルールならいらない。
女性は関係に酔ってしまい、良し悪しの判断がつかなくなる場面が沢山ある。主従関係のことはデリケートな面が多いので、他人には相談しにくい。
結果的に離れきることができず、都合の良い距離感でキープをされる。
首輪がついて窮屈になる女性と
首輪がついて自由になる女性がいる。
得てして初めてのご主人様には溺れてしまいやすい。
その人物に溺れるならいい。しかしアブノーマルな欲求を満たしてくれるパートナーとして依存しているだけならば、その男性は主人ではないかもしれない。
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