日記

すべての従者へ

liebeseele(リーベゼーレ)

 

東京から離れた場所に来ている。

旅先で、いつか書こうと思っていた記事を書く。

 

時折部屋の明かりを落として、深い海の底に沈んでいくように考えることがある。

僕がこれまで関係を結んできた従者たちについて。

普段は柔らかな群像として静かに記憶の中にいる。

しかしふとしたタイミングで、個別具体的な事象を思い起こすことがある。

 

学生の頃からSM調教のブログを始め、そこにアクセスをしてくれた女性たちとの関係が「僕」という人間の輪郭を作ってくれた。

僕は幼い頃から早熟ではあったけど、ブログを始めた頃に成熟していた訳ではない。

ブログでの発信を行うことで危険な目に会う女性を減らしたいという本心と、自分と心が通った女性と主従関係を築きたい欲求。

どちらも自分にとって本意であり、それぞれが在ったからそれぞれが成り立っていたのだと思う。

 

未熟だったことは当時傷つけてしまった女性への言い訳にはならない。

僕は「主従関係に失敗した」という表現を忌避している。

人間関係において、こちらが支配的である関係においてそれを受けに来てくれた女性に対してチャンスを損じたような「失敗」という表現があってはならない。

「君との関係は失敗した」

こんな表現は有り得ない。少なくとも自分の価値観の中では。

 

良くない別れ方をした場合、それは100%自分が悪いと思っている。

 

感情表現が苦手な従者を後回しにして傷つけてしまったこともある。

精神のバランスを崩して真っ当な会話ができなくなってしまった従者もいる。

愛情の受け取り方がわからなくなってしまった従者もいる。

とても大切に思っていたが、対応に迷ってしまい誤った距離の置き方で信頼を破綻させてしまった従者もいる。

SNSでの反応欲しさに意味もなく過激な調教ばかりに傾倒したこともある。

 

多頭飼いをしていると言うと、一人一人の従者への思い入れがないと誤解されることもある。

いなくなればまた新しい女性と関係を持てばいいと。

僕の心持ちとしては女性が複数いるからといって誰かを失った時に痛まないわけではない。

歓びに種類があるように、哀しみにも種類がある。

それぞれ従者との別れはすべて異なる形の切り傷なのだ。

 

自分の感覚としては、数が増えるほどひとりの重さが正確に伝わるようになる。

不思議なことだが心というものはそういう構造をしている。

 

関係には色々な終わり方がある。

 

環境が変わった時。

サブミッシブとしての欲求が充ちた時。

SMや主従関係への興味がなくなった時。

中にはそっと姿を消すように去った人もいた。

 

もし大切な人ができて関係が終わるなら、こんなに幸せなことはない。

申し訳なさそうに伝えてくるその言葉は福音でしかない。

 

満ちた潮はいずれ引く。

月の引力がもうしばらくそうしているし、これからもきっとそうだろう。

 

ただ思うのだ、人生は一方通行だけではない。

一度離れていったのに何かのタイミングでまた戻ってくる従者もいる。

主従関係に戻ることもあればただ食事に行くだけの関係になることもある。

久しぶりにあった従者は僕のことをなんと呼んでいいのか迷ったように笑う。

ご主人様と呼ぶには久しいし、名前で呼ぶ習慣もない。

その時の照れたような表情を見て、僕はなぜその人と関係を結んだのかを思い出す。

 

時々思うのだ。

 

僕たちは互いの記憶の宇宙に散った粒子のようなもので、離れていてもどこかで微かな光を放ちながら漂っているのだと。

ふとした瞬間に思い出し、暗闇の中でふいに粒子がぶつかって青く光を灯す瞬間がある。

本人たちも衝突したことには気づかない。

しかし誰にも気づかれずチェレンコフ光のように微細に瞬く。

 

たとえば雨の匂い、風の強さ。

好きな酒、香水、小説、駅。

 

極めて些細な切っ掛けで、忘れていた感情や名前を思い出す。

 

人生のどこかで僕と彼女たちは閃光のように交差し続ける。

それはもう恋でも主従でもない。

ただかつて触れ合った二つの存在が、宇宙のどこかでまた出会い直しているだけだ。

 

これまで関係を持ったすべての従者へ。

 

幸福にしてくれてありがとう。

傷つけてしまって申し訳ない。

僕はあなたたちの感受性に触れることで、自分がどれほど些細な粒子かということ知った。

 

離れても構わない。戻ってこなくてもいい。

 

けれど、あなたたちが人生のどこかでふと僕を思い出してくれたなら

その一瞬は宇宙のどこかで青く光る粒子のようにきっと僕の中でも静かに灯る。

 

僕はその光をこれからも文章の中で静かに大切にしていく。

どうかそれぞれの宇宙で、幸せに穏やかに生きていてほしいと願っている。

 

茉莉花のように優美で、自由な子どものような遠さで

いつかまた、萩の季節に

六月の雨

またいつか、真夜中に

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