主従関係の感じ方は女性によって異なる。
御主人様との関係をオープンに発信していきたい奴隷もいれば、閉じた世界に隠しておきたい奴隷もいるだろう。
僕が飼っている奴隷の中でも関係の感じ方はまったく異なると思うが、僕が結ぶ主従関係は基本的に閉じた世界での関係が多い。
調教後に女性の調教記録を綴ることもあるが、そこに書かれていることは全体の僅かな一部、エッセンスの部分である。
実際にはもっと恥ずかしいこともしているしもっと非道いこともしているが、それは僕と奴隷の秘密だ。
僕は多頭飼いをしているが奴隷同士が干渉することはないし、調教中には世界には僕と奴隷しかいなくなる。
箱庭のように与えられた世界の中だからこそ、奴隷は剥き出しの自分を曝け出す。誰かに覗かれる可能性がある場所では、奴隷は自分が望む奴隷に成りきれない。
特殊な性癖の世界では、人に伝えにくいことは沢山ある。床に這いつくばりたい、赤子のように扱われたい、汚物に塗れてみたい。そんな綺麗な願望の数々を、まずは吐き出せる関係でなければならない。
サブミッシブの女性にとって、誰かに服従してみたいというのは期せずして生まれた感情だ。それがいつの間にか自分にとっては当たり前になっている。美しい夜景を見たい、美味しい料理を食べたいという願望と同列である。
アブノーマルとは本人にとってはアブノーマルでないのだから。
主従関係において、僕は水や深海をイメージする。調教に溺れていく女性、溢れ出る感情、女性の深層心理まで潜ろうとする自分。
服従したいという女性の真理はきっと深いところにある。それこそ息が続かないような、日差しが届くのを諦めるような深さに。
奴隷願望にも様々なレベルや嗜好があるが、僕のもとを訪れる女性は悩み彷徨ってきた女性が多い。誰にも言えない願望を引き摺ってようやく辿り着いた女性にとって、自分が主になることが最適解だと判断した場合には関係を結ぶ。
散々悩んできた女性が、何も考えなくて良いように調教していく。
女性が考えるのは、Mとしての自分が幸福になることだけだ。そこには見栄も遠慮もない。
良質な主従関係を持った奴隷は、御主人様に尽くすことを考える。結果的にそれが自分の喜びであることを理解しているからだ。
サブミッシブの喜びは相手がいて初めて感じ取ることができる。エゴなMはサブミッシブにはなれない。
僕は奴隷に「考えなさい」と言う。だがそれは「悩みなさい」と同義ではない。考えるのは、Mとしての自分を愛するためだ。
Mとしての自分を豊かにすることは、きっと貴女を幸福にする。
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