主従関係に対しては千差万別の価値観がある。
「誰でもいいからとにかく誰かを調教したい」と喚き散らす男性。そんな男性を批判する女性。そんな女性に文句を垂れ流しながらも「もしかしたら…」が拭えずに接し続ける男性。それに甘えて承認欲求を満たす女性。
M女を擁護するような耳ざわりの良い言葉を否定する人もおり、それをまた否定する人もいる。
ぐるりぐるりと、皆で狭い場所を回っている。
取分けSNSでは、誰かが誰かを批判し、強めの発言をする者が持て囃される。それが良いとか悪いとかは論点ではなく、そういうモノとして捉えておく方が精神状態は良好だろう。
「調教」や「主従関係」には、間違いなく負の部分がある。肉体的に普通の恋愛よりも踏み込んだ行為を多く経験する事もあり、共依存にもなりがちである。
また恋愛と似て同じタイミングで気持ちが冷める事も難しいので、S男性かM女性どちらかの性的関心や熱量が他者に向けられているのが分かった瞬間に、酷い別れ方をする事もある。
自分が期待していた行為とはまったく異なる嗜好のプレイを施され、調教自体が怖くなる場合もあるだろう。
パートナー選びを間違えると、普通の恋愛以上に傷は深くなってしまう。
主従関係の様々な負の要素を理解した上で、今回は綺麗事を書きたい。
主人だとか奴隷だとか、そんな関係は現代社会においてはっきり言って異常だ。しかしそう呼ぶのが最も適切であると感じるパートナーに出会う事がある。
自分にとって主でしかなく、自分にとって奴隷でしかない。その呼び方が相手への最大限の敬意である場合だ。
例えばホテルの一室で、二人は主人と奴隷である事を楽しむ。首輪を着け部屋を引き回し、奉仕をさせ、拘束し、時には汚いプレイも行われるだろう。
奴隷は涙を浮かべながら悦びに貫かれ、主人は形容できない満足感を得る。
世界から切り離された小さな一室で、主人と奴隷だけの小さな世界が、二人の世界がそこにはある。
それが高級なホテルのスイートであろうと、古いアパートのワンルームであっても何も変わらない。
その独立した小さな空間を、二人は誰にも邪魔されずに楽しむ事ができる。
奴隷が素直になって本来の願望を曝け出すのも魅力的だが、主人だって本来の願望を曝け出すのは愛奴の前が良い。
快楽だとか苦痛だとか、ドミナントとかサブミッシブだとか、そんなモノが溶け合って小さな世界は形成される。
少なくともその時間、世界には二人しかいなくなる。
大袈裟な文章だ。ただ、事実でもある。
これから主従関係に踏み入る男女が、その小さな世界に辿り着けると良い。
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