昔から、僕は少し変わっていたのかもしれない。
つまらない昔話を書きたい。
小学生の時、校庭で向日葵をスケッチする授業があった。
皆が綺麗に咲いた向日葵を囲む中、僕はまわりよりも先に枯れてしまった向日葵を一生懸命に描き続けた。
同級生からは下手だから枯れた向日葵を書いているとか、先生からは天邪鬼と言われたような気がする。
しかしそのどちらも僕の意に反していた。
僕は校庭に咲いていた中でその花が一番美しいと思ったから描いていたのだ。
その時僕は、人は同じモノを見ていても同じようには見えていないという事を学んだ。僕には綺麗に見えて、同級生には汚れて見える。逆もまた然りだろう。
幼い頃の僕は早熟で、とても嫌な子どもだったと思う。
何をすれば人が喜ぶかにまわりよりも早く気づき、小学生の時も中学生の時も、まわりの子どもたちが喜ぶように振舞った。
しかしそれは八方美人というよりは、自分としては極自然にまわりの人間を気遣っていただけだ。無理もしていないし、背伸びもしていない。無論ストレスもない。
本を読むのが好きだった僕が、少しだけまわりよりも大人びた言葉を使った。思春期の学生が苦しむはずの息苦しさを適切に表現する語彙があった。
僕の精神状態は、常に周囲よりも2.3年ズレていたように思う。
性的な関心が明確になって来た頃、僕はいわゆるアブノーマルであることを自覚する。幼い頃からぼんやりと性癖はあったが、明確化したのが高校生の時だ。
アブノーマルを実行する相手は同級生には求められなかったので、僕が取った手段としてはサイトを作成して相手を募るという方法だった。
当時は今のようなサイト作成に関する知識もツールもなく、素人くさいサイトをせっせと構築していった。
同じような欲求の矛先に困っていた女性は溢れていて、僕はサイトを作成してから早い段階で最初の奴隷と関係を持った。自分よりも年上のパートナーだった。
この女性よりも先に問い合わせをしてきた子は何人かいたが、実際に会うまでには至らなかったように記憶している(少し曖昧)。
会えなくなったりメッセージが途切れた女性の傾向や自身の発言をまとめていき、女性が不安を覚える声かけ、会うことを躊躇うような話、少しずつ自分の言葉を研磨していった。
人の心理について考えるのはとても楽しかったし、自分の言葉や文章は特殊な性に悩む女性を少しだけ楽にできるのかもしれないと思った。
Mの女性は自分が何者なのかを理解できずに苦しんでいる場合が多い。自分の中のどろどろや、むず痒さや、すごく重いもの。
それらを形容すること、符号をつけること、わかりやすい言葉に置き換えること。
それが自分が少しだけ女性の役に立てることのような気がした。
珈琲や雨の話をするのと同じように、調教や主従関係について話が出来たら良い。
話の先にいつもセックスだけがあるような、剥き出しの性を押し付けるような関係だけではつまらない。
僕はその人を知りたいんだと思う。
知ったうえで、それで。
↓調教に興味のある女性はこちらよりお問い合わせ下さい。
↓クリックをお願い致します。