何人かの女性と、少しだけ踏み込んだ関係を持っている。
彼女たちはとても聡明で愚直で、不器用で繊細だ。
これまで少なくはない数の女性が奴隷へと変わっていく姿を見てきた。
奴隷としての在りようはそれぞれだけど、自律した女性から自由意志や決定権を削ぎ落した奴隷という身分への変化はとても顕著で、かつ望んでその身に堕ちる女性というのは独特のエロティシズムがある。
僕はあまりセックスに執着はなく、なぜ主従関係を持っているかと聞かれれば女性の変わっていく(或いは変わってしまった)姿が好きなのだと思う。
元の姿を失ってしまった喪失感。
不可逆とも思える精神構造の変化。
その女性がどんな関係を望んでどんな奴隷になりたいかという願望は、実は性的な会話に表出しないことが多い。
顕在化している性癖だけではなく潜在的な癖、人格にいつの間にかこびりついてしまった陰影。
その影と離れることができず、手をつないだまま大人になった女性がいる。
その影もその女性を形成している大切な一部だ。
子どもの時、日々新しいものに出会う。
新緑が萌える頃の何度も胸を砕く温かい風に。紫陽花の季節のやわらかな雨に。一枚の紙で指先を深く切ってしまう残酷さに。
大人になった時、様々なことが当たり前になる。
多くの希望には代替品があること。好きだった人が好きではなくなってしまうこと。
成長することは、新鮮さから少しずつ離れていくことでもある。
経験則が冴え、応用が利き、何となくまとめてしまう能力が備わってくる。
初めて主従関係の世界に踏み込んだ女性を見ている時、彼女たちは歩くことさえままならない。
大人になってこんなに適応できないことがあるのかというほどに、幼いころのような新鮮な感動を得ているように見える。
しかし残念ながら、大人になった彼女たちは昔に比べずっと賢い。
痛みも子どもの頃より極めて正確に受け取ってしまうだろう。
恋人ときれいに別れることはできても、ご主人様との離れ方がわからずに苦しくなることもあるかもしれない。
そしてその痛みは主の方が強く感じることもある。
色々な性癖の人がいる。色とりどりで、どれもとても綺麗だ。
僕が好きな主従関係の世界は、首輪の拘束感があり、革の匂いがして、上から頬を撫でる手は温かい。
主は与えているつもりで、実は従者から多くのものを享受する。
甘美な関係の中には、抜けない棘や全てを腐らせる毒を含んでいる。
その痛みを一緒に感じることができたなら、綺麗ごとを塗り潰してその上で一緒に居たいと思えたならば。
きっとその女性は、首輪を掛けられて良かったのだと思う。
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