東京には久しぶりに景色を変えるほどの雪が降り、景色から色が奪われていくことに比例して空気は更に張り詰めていく。
降雪から数日経った今でも街には雪が残り、その上を吹く風は冷やされ、肌を刺すように戻ってくる。
過ごすのがつらい季節であるほど、皮膚を隔てて体温と気温には大きな乖離があるのだと感じる。
暦のうえに生きる僕らは、一年の終わりに後悔を数え、一年の始まりにはいくつかの幸福に期待する。
仕事の忙しさが和らぐこの季節はいつもよりゆっくりと思案することができる。
街を歩いていると、手を繋ぐ親子を見かける。
大きな手のひらと小さな手のひら。親は大切そうに、子どもは当然のように手を繋いでいる。
従者と手を重ねている時間のことを考える。
僕の堅い手のひらと、従者の細く柔らかな手のひら。
大きさの異なる手のひらが重なっている時、そこにはぼんやりとした温かさの愛情が存在する。
眼ではとても確認できない、繊細で曖昧な温かさ。
その温かさを感じている時、僕は少しだけ自分が赦された人間であるように感じることができる。
綺麗事ではなく、従者には感謝している。
好意や優しさは時に最も残酷に相手を傷つける。
対照的に、酷いことが相手にとって親切な場合もある。
愛情の使い方を間違えないように、相手にとって何が親切かを見誤らないように。
この穏やかな季節のあとに、しっかりと思考を重ねていきたい。
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