僕はよく、恋愛と主従は相容れないと言う。
恋愛はまず自分の良い部分を知ってもらい、上手くいけば関係が始まる。対照的に主従関係は(一般的には)隠しておきたい変態性や嗜好を相手に知ってもらう事から関係が始まる。
もちろん例外は多様にある。自分の負の面を許容してくれた事から始まる恋愛もあるし、性癖を開示しなくても思いがけず関係が始まる主従もある。
主従関係はそもそも負の面の理解をしてもらえる所から関係が始まる。理解をしてもらうのはM女性ばかりではなく、主人となる人物も自分の思考や嗜好が拒絶されれば関係は終わってしまう。始まりはどちらかを理解する事から始まるが、最終的には相互理解が必要となる。
どちらかに理解と許容を強いる関係はいずれ破綻するだろう。
何か切っ掛けがあり、残念ながら関係が終わってしまったとしよう。関係を振り返ってみた時に感じる事がある。
相手のことをとてもよく知っているつもりだったのに、終わってみれば何も知らなかったというケースだ。
人柄、名前、嗜好。自分はよく知っている思う人もいるだろう。しかし相手の考え方や理不尽の理由を尋ねられただろうか。
奴隷は立場上、主従関係の中の理不尽を受け入れざるを得ない場面が沢山ある。受け入れなければ関係が終わってしまうリスクを選びたくないからだ。またその理不尽を楽しむ場面もあるので切り分けが難しい。
相手の怒りも喜びも理解しているつもりだったのに、今となっては何もわからなくなる。
あの人は何を考えていたのだろう?
ご主人様は彼氏とは大きく異なる。恋人や配偶者は、基本的にはずっと並列の立場である。
しかし主従関係はその名の通り上下関係が成り立っている。その上下関係を楽しむものでもある。
ある意味では主従関係は不可逆だと考えられる。喧嘩や行き違いが起き、何度かの破綻の危機を乗り越えたとしよう。例え関係を再構築したとしても今までのような関係には戻れない。純粋な意味で上下関係の下の立場にはいられないのだ。
破綻の原因がNGを守らない、女性の身体を保護しない(無責任な中出しや不本意な傷跡など)の場合、そのご主人様を尊敬し続ける事はできない。
それは従者としてはとても不幸なことだと思う。すべてを任せて従うことができないのだから。
実際には従者としてではなく情で戻ってしまう女性もいる。それで新しいかたちの関係が築ければそれはそれで一つの答えだろう。しかしそれはきっと、純粋なM女性が望んでいるものではない。
言葉は相手を縛る。言葉は自分を縛る。それ程までに、言葉の持つ力は強い。
特にM女性はご主人様から与えられた言葉を大切にすると同時に、その言葉に縛られてしまう事も多い。
依存は悪ではない。ただ依存していいと開き直ってはいけない。
依存している心地良さや快楽に溺れてしまう事で、本来の願望(ないしは目的をーー)見失ってしまうことは避けなければならない。
そうしなければ、間違ったご主人様に盲目的に従ってしまうからだ。
そのご主人様は、本当に自分のことを考えてくれているだろうか?
ただの快楽主義者や独裁者ではないか?
関係に悩んでいる従者は、一度自分の主を冷静に見つめ直してみよう。
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